ウィキペディアによると、佐藤雅彦(1954-)は、メディアクリエーターという肩書きを持っていて、電通時代にたくさんのCMを作成しているそうです。例えば、湖池屋の「ポリンキー」、「ドンタコス」、NECの「バザールでござーる」など、イメージキャラクターの個性とほのぼのとした雰囲気が人気を得ていたように思います。
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理工系の出身の彼がデレクションをすることから、最先端の技術を作品の中に取り入れているようで、展覧会の仕掛けをよりもりあげています。これは、展覧会のキーワードである「属性」を体験して考えるためにとても有効に作用しているようでした。
個人を認識するためにいろいろと情報をシステムに与える必要があります。例えば、性別、年齢、身長、体重など。そして、これら情報はシステムの中で「属性」を与えられ、さまざまに変換され利用されます。しかし、情報は、いつの間にか個人から離れて行き、一人歩きをすると言うのが彼の主張です。
展覧会では、ある程度の個人情報を最初に開示します。しかし、彼が主張するように作品の中では、その情報が勝手に一人歩きをしていきます。個人から情報が与えられた瞬間に、その情報は個人から独立するような感じを体験として実感できます。
『指紋の池』という作品は、最初に作品に指の指紋を与えます。すると指紋が小魚のように池の中に放流されるさまを見ることができます。指紋は泳ぎだして、池の中の既に放流されたたくさんの指紋の中に混ざっていきます。
しばらくすると、どれが自分の指紋なのか判らなくなります。個人から「属性」が切り離される体験ができるのですが、なんとなく寂しい感じがします。試すことは出来ませんでしたが、再び指紋を認識させると、自分の指紋がたくさんの指紋の中から戻ってくるそうです。
この他にもいろいろと個性的な作品があるのですが、彼の術中にはまってしまうようです。さまざまな疑問がいろいろと湧いてくるようになっていて、最終的には社会の中で自分とは何なのだろうという具合に展開されるようです。これも自分と認めざるをえない…その通りだと思います。
※21_21 DESIGN SIGHT(2010年7月16日〜2010年11月3日)