日が暮れるのが早くなってきました。閉館時間が近づき美術館にも明かりが灯るのですが、これもなかなか趣があります。黄昏時に弱くなった自然の光と力強い人の光が混じり合う素敵な一瞬は、街に暮らす密かな楽しみなのです。
山種美術館には、渋谷からバスで向かいました。バスが信号や停留所で停まるたび、その時は徐々に近づいて来ます。バスを降り美術館に近づくと、夕焼けで赤みを帯びた空と美術館から漏れる光が街の輝きのひとつを作り出していました。
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街の輝きをしばらく見ていたかったのですが、閉館時間も迫ろうとしていたので美術館に入ることにしました。今回、山種美術館は、開館1周年記念として所蔵品の中からの選りすぐりによる企画で「日本画と洋画のはざまで」という興味深い展覧会となっていました。そして、この時間帯は、鑑賞者も少ない好条件が揃うのです。
特に注目していたのは、村上華岳の『裸婦図』です。定期的に展示されているようなのですが、いままで村上の作品を見る機会がなかったこともあり、また「美の巨人たち」をはじめテレビなどにも取り上げられ、是非本物をじっくりと見たかったのです。
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村上華岳「裸婦図、1920」
目的の『裸婦図』は、展覧会のちょうど中間点になるやや広くなった部屋にありました。思っていたよりも大きな作品でしたが、そう言えば「美の巨人たち」でほほ等身大の大きさの女性像と言っていたことを思い出しました。
女性は、確かに裸婦に見えるのですが、透き通るベールのような衣装を身につけています。それが、素肌をより引き立て艶めかしくなっているのかもしれません。しかし、離れて全体を見ると菩薩のような雰囲気を放っていて、尊い感じさえしてくるのが不思議です。
村上は、この女性を理想の女性と言っているようです。理由はいまひとつ判りませんが、彼の生い立ちや絵画への考え方が反映されているのだと思います。京都に生まれた村上は、両親ではなく祖母に育てらています。その間、父は死去をして母は男と駆け落ちと、思春期の少年には刺激が強すぎます。
その後、彼は絵の道を目指し京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に進みます。文展などの公募展にも積極的に挑戦して、高い評価を受けることになります。しかし、文展の審査基準を問題視して若い画家仲間と新たに国画創作協会を作り、制作と発表を開始するのです。
そして、今回の展覧会で出会うことのできた『裸婦図』が生まれるのです。もともと仏教に対する関心が強く、仏教をテーマにした作品を残していることから『裸婦図』にもその影響があると思えます。しかし、官能的でエロティズムを含んでいる点は、仏教からは少し外れたところにテーマがあるようにも思います。
この『裸婦図』以降、女性の肖像は描いていないとも言われています。その理由も判りませんが、ひとつの到達点に達してしまったのではと思っています。断言は出来ませんが、晩年は病気と闘いながらの制作、海外留学の断念など不本意な状況が続きます。そうだったからこそ、あのとき『裸婦図』が生まれてきたように思うのです。
※山種美術館(2010年9月11日〜2010年11月7日)