そうだ、太郎さんに聞いてみよう 〜 生誕100年 岡本太郎展
2011-04-01


東北から関東にかけての広い地域に被害をもたらした地震と津波の爪痕は、たくさんの人と暮らしを破壊してしまいました。そして、首都圏でも計画停電や流通の混乱が大きな不安を招いています。さらに原発の問題も大きくなって来ています。

アートの世界でも、中止や延期になる展覧会も出て来るなど、いろいろと混乱が出てきています。だから、こんな時こそアートで元気を出したい…そのためにはどうしたら良いのか? そうだ、太郎さんに聞いてみようと国立近代美術館に向かいました。

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岡本太郎(1911-1996)は、画家というよりもテレビタレントのようにマスメディアに登場する変わったおじさんであることが、多くの日本人のイメージなのかもしれません。彼の作品よりも『芸術は爆発だ』などの言動の方が話題となることもしばしばだったように思います。

しかし、彼は、父に漫画家の岡本一平(1886-1948)、母に歌人・作家の岡本かの子(1889-1939)を持つ芸術一家のサラブレッドでもあります。慶應義塾から東京美術学校に進学しているが、すぐに家族でパリに留学しています。そして、ピカソ(1881-1973)との出会いが、後の作品に大きく影響を与えるほどの衝撃だったようです。

戦争が太郎をフランスから帰国させます。兵役として中国に渡りますが終戦で日本に戻ると活動を再開させます。もう一人の岡本太郎こと、岡本敏子(1926-2005)と出会うのもこの頃でした。そして、画家という範疇を越えて、日本中に話題を問いかけるスターになっていきます。

展覧会では、初期の代表的な作品である「傷ましき腕」、戦地で描いた珍しい肖像画、シュルレアリスム的な要素のある「森の掟」、持論である対決主義を象徴する「ノン」など貴重な作品が網羅されています。もちろん、「太陽の塔」のスケッチや「明日の神話」の下絵も見ることが出来ます。

太郎の絵に描かれるものは、見るものを威圧してのみ込もうとしているように思います。最初の印象は、彼の言うように「なんだ、これは!」となるのですが、しばらくすると寂しさや孤独感が広がってくるような感じがしてきます。

大きな力や驚異に対して対決する。言葉では簡単ですが、いざ実行しようとするとなかなか難しいことだと思います。一人で勇気を絞り出し拳をあげることは、孤独で辛いことなのかもしれません。太郎の作品は、美術館以外にもいくつか見ることが出来ます。そして、そこには同じように孤独な戦いを感じることが出来るのです。

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※東京国立近代美術館(2011年3月8日〜2011年5月8日)
[展覧会]
[*現代]

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