謎は終わらない 〜 特別展 写楽
2011-05-07


東洲斎写楽(生没年不詳)は、江戸の街に突然あらわれ10ヶ月あまりの活動で消えてしまいました。謎の絵師として、さまざま人たちが謎解きに挑んできました。大物浮世絵師説、版元の蔦屋重三郎(1750-1797)説など興味深い憶測が飛びかうミステリーです。

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しかし、最近になって謎解きに大きなヒントを与える発見がありました。ギリシャの国立コルフ・アジア美術館のコレクションの中に、写楽のものと思われる肉筆扇面画があったのです。肉筆画の分析から多くのことが明らかになり、謎であった写楽の正体に迫ることができたのです。

そして、斎藤十郎兵衛(1763-1820)説がにわかに有力視されることになったのです。斉藤という人物ですが、阿波徳島藩の能役者であることが判っていて、住まいは八丁堀となっています。興味深いのは、この斉藤の家の近くに版元である蔦屋の店があるのです。

能役者の仕事は特定の季節に集中していて、次の仕事の時間まで間が空くようなことがしばしばあったようです。また、仕事柄、斉藤が歌舞伎などの演劇を好んで見ていたことも推測できます。表現に関する研究から浮世絵を描いていたことは、誰でもたやすく想像できることです。もちろん、蔦屋への接触に関しても…

さて、今回の展覧会ですが、衝撃的なデビュから徐々に変貌する写楽第4期までを網羅する大掛かりな回顧展です。東博ならではラインナップとボリュームは圧巻と言えます。数にして170点もの作品に一度に出会うことができるのです。

第1期の作品は、誰もが知っている役者大首絵28図となり、雲母の粉を使った雲母(キラ)刷りの贅沢な作品となります。そして、あまり馴染みない第2期〜第4期と続くのですが、これが同じ絵師の作品であるかと思うほどの変化をみることができます。もともと、版元の蔦屋が仕掛けたイベント的な要素が見え隠れするシリースなのです。

役者大首絵についてもいろいろな見解がありますが、役者の個性や芝居のポイントなる部分を、斬新な切り口で描くのが写楽なのです。例えば、「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」と「市川男女蔵の奴一平」は、同じ芝居の一場面であり、まさにクライマックスを迎えています。獲物を見つけ驚く江戸兵衛の手の表情や緊急事態に覚悟を決めた奴一平の憤りまで伝わる絶妙な表現です。

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東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の江戸兵衛(左)&市川男女蔵の奴一平(右)、1794」

しかし、そんな写楽でもすべての人から評価を受けたわけではないのです。例えば、役者のありのままを描くことにより、女形には嫌われたりしたのです。そして、それはブロマイドとして浮世絵を求める人たちに共感を与え大衆からも酷評を受けた可能性だってあります。

現代でこそ写楽の凄さは評価されていますが、はたして当時の江戸にあってはどうだったのでしょうか? それが迷いなのか、トラブルなのかは判りませんが、大きく第2期以降に影響しています。迫力のある表現はなくなり、ありきたりの全身ポーズになったり、使用される紙や絵の具も粗悪なものなっていきます。

本当に役者大首絵の写楽なのかと疑うほどの作品なのです。ある説によると、第2期以降は斉藤とは別人だった可能性があったそうです。何らかの形で斉藤が手を引いてしまい、蔦屋としても儲けが出ず、何とか回収をするために写楽の名前を使い続けたのかもしれません。

それは、展覧会を通して感じてくることであり、事実だったような気がしています。まだまだ謎はいくつも残っています。絵師の正体が見えてきた程度では、写楽の謎は終わらないのでしょう。これからも、大いなるミステリーで楽しませてくれると思います。

※東京国立博物館(2011年5月1日〜2011年6月12日)
[展覧会]
[*版画]

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