ブリヂストン美術館では何度が出会っている青木繁(1882-1911)の作品ですが、回顧展としてまとまって見ることが出来るのはとても嬉しいことです。若くして天才と言われていた画家の一生は短く激しいものでしたが、彼に憧れ同じ画家を目指す人たちの道しるべとしていまも輝いています。
青木が活躍した時代は、近代化された西洋への羨望と明治維新前から続く固定化された価値観の入り乱れるときであったと思います。したがって、ある考えは古いと言われ、道を外しているとか批判されるが、誰も本当の答えなど持っていなかったと思います。
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その中で個性を全面に押し出して、時には圧倒する表現で相手をねじ伏せる必要があったのかもしれません。本当に青木がそうであったかは、判りませんが同時代の作品とはちょっと違った光るものがあるのです。
西洋絵画の技法で日本人を描くことが、彼の一つのテーマであったように思います。当時、ヨーロッパに留学したものの作品を見る機会もたくさんあったと思います。しかし、彼の感性では、あくまでも遠い異国での出来事であり、その絵から感動を受けなかったのかもしれません。
人と違った題材を狙ったのではなく、やはり日本人や日本の神々でなければ、心の奥まで感動はあり得ないことを言いたかったのはないかと思います。例えば、『海の幸』なら荒々しい漁師たちの肉体は厳しい自然の中に生活する民族の誇りを表現して、絵の中に恋人の福田たねの顔を潜ますことで辛い漁からの開放感と安堵という精神面を強調しているように思います。日本人なら容易に理解できることと言いたいのでしょう。
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青木繁「わだつみのいろこの宮、1907」
そして、同じように日本の神々だからこそ感動があることを『わだつみのいろこの宮』で表したのかもしれません。但し、この絵の制作には、いままで自分の作品を否定しなければならなかったのです。精神的にもう一つ上の次元に押し上げなければ、到達できない世界に進んでしまったのだと思います。
その結果、彼の人生すべてをかける作品になった『わだつみのいろこの宮』。いまでも青木の情熱が伝わってくるすごい作品です。自信の命を削ってでもやり遂げてしまう情熱は、どこから来るのでしょうか。天才だからと言って片付けたくない事柄です。
※ブリヂストン美術館(2011年7月17日〜2011年9月4日)